キューピーママは二十年前に訪れた阿寒湖アイヌコタンでアイヌの民族衣装と運命の出会いがありました。それ以来、アイヌの文化に興味を持ちました。この素晴らしい衣装を伝えてきた人々のルーツを知りたく、今回は札幌にある北海道博物館の企画テーマ展に行ってきました。民族共生象徴空間ウポポイ(国立アイヌ民族博物館)では解けなかった謎が解けました。すばらしい企画展でした。
キューピーのファッションポイント
縄網のセータとコーデュロイのフレアーパンツに同系色のニット帽を合わせました。靴はベージュと茶のコンビです。これまでキューピーママが作ってくれたパンツは、スリムかストレートに近いパンツばかりでした。
寒くなるとブーツを履きたいので裾が広がったパンツをおねだりしました。キューピーママの時代はラッパズボンとかパンタロンと言ったそうです。
やっと北海道に行き着いたゾウ
博物館に入った正面には、12万年前に南の本州から渡ってきたナウマンゾウと4~2万年前に北のサハリンから渡ってきたマンモスゾウが待っています。暖かい所を好むナウマンゾウと寒冷地を好むマンモスゾウが混在していたということは、北海道の気候の変化が激しかったことを物語っています。
人類も北海道へ
人類は動物を追って3万年前に北海道にやってきたそうです。この時期は寒冷期で水面が80mも低く、サハリンと北海道は地続きだったんです。6万年前人類がアフリカを出て(グレートジャーニー)から4万年かけて北海道にたどり着いたということです。その後、土器を使う縄文文化が誕生します。縄文のシンボルである土偶もありました(北海道も世界遺産に指定されました)。
2500年ほど前に稲作を中心とした弥生文化が九州から北に向かって伝わります。この頃北海道は寒冷期に入り稲作には不向きだったようで鉄器文化の一部が伝わったにとどまりましたが、サハリンや本州と交易でつながっていました。
この北海道に住んでいた人たちは本州の人(和人)から蝦夷と呼ばれ、アイヌ民族へとにつながります。アイヌの方々は、生粋の縄文人の血を受け継いできた方々だったのですね。その後、アイヌの方々は本州から来た人たちと争うことになり、鎧をつくらなければならない状況に追い込まれました。初めてアイヌの鎧をみました。ここから皆さんがご存じのようにアイヌの方々の苦難の道のりが始まったのです。
アイヌの民族衣装との出会い
アイヌの民族衣装を着たくて着たくて一目ぼれしたのが写真の衣装です。アイヌコタンの中でもこの衣装を製作できたのは平さんお一人でした。平さんの所に4日間通って譲っていただけました。この時困ったのは「あなたが値段をつけてください」と言われたことです。このお店ではクレジットカードが使えず手持ちの現金7万円でお願いしました。世界に1枚の手の込んだ作品に対して申し訳ない価格をつけてしまいました。その後、パーティにはこの衣装と決めて出かけました。
パンツの型紙
ウポポイ