キューピー&ファッション 

キューピー人形用の洋服を作ってファッションを楽しむ

琉球王国時代の衣装を考える 十二単番外編 キューピーも踊りだすかも(型紙あり)

  エジプト旅行記の途中ですが十二単が気になるというお声をいただきました。キューピーも早く着たい、美しい(おそらくそう言ってもらえるだろうという期待)姿をお見せしたいと一歩一歩頑張っています。

    十二単の製作にあたり(長袴は作りました)つらつら考えている時、頭の中をある事がよぎりました(キューピーの頭軽いけどちゃんと考えてます)。

    ある事とは、十二単の中に唐衣(からぎぬorからごろも)という衣を一番最後に身につけるのですがこの衣とは?  どこかで見たことあるような・・・   と閃きました。そうそう以前沖縄を訪れた際に見た着物と似てる?  と過去の記憶を辿れば(ちょっと前のことです。二カ月前かなあ)やっぱり似てます。894年に遣唐使が廃止されるまでファッションは唐から伝えられていたのですから、沖縄にも同じ形態の衣があってもおかしくないですね。

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ちょっと納得できない出来上がり
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この角度なら許せる出来上がり
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   これはキューピーが沖縄で見た衣装を製作したものです。琉球舞踊の女踊りに着用されていた赤いトウジンと白いプリーツスカートのようなカカンの上から鮮やかな紅型を着用し紫の腰紐を結んだものでした。この鮮やかな紅型の形式が十二単の唐衣と似てるんです。「時代衣装の作り方」という本の唐衣の製作方法と同じ形態の出来上がりなんです。「あ〜〜、繋がってる‼️」と感じちゃったのでした。具体的どこが繋がってるかって? 袖口が全部開いている、袖のたもとがない(身頃と袖が一体化している、衣装の一番上に羽織るです。十二単が出来上がったら比較してみましょう。型紙を見ると身頃と袖の一体化がわかりやすいかな。

  トウジンとカカンの出来は良い感じ。特にカカンのプリーツはアイロンによるプレスだけではなく、プリーツの奥ひだ部分に押さえのステッチを施してます。もちろん表から見えません。納得できる出来栄えにならなかったのは、紅型の生地で製作した唐衣に似た衣装です。袖と身頃が一体化しているため案山子みたいになってしまいました。キューピー体型に合う特別仕様にしないとしっくりこないのですね。せっかく、仕上げたのに残念です(沖縄ぽさは出ていると思います)。

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赤いトウシンとプリーツスカートのようなカカン

  都と沖縄文化に共通点が見られる根拠は、遣唐使が唐へ向かうルートは南西諸島(九州南端から台湾北東にかけて位置する島々)に沿っていたはずと考えたからです。なぜなら水や食料を補給する必要もあったでしょうし台風などによる緊急避難のためにも南西諸島と交流が欠かせませんでした。このルートはが確立されればそれぞれの島も唐の影響を受けたり独自に党との交流を行っていても不思議ではありません。このように考えると十二単の前に着用されていたファッションの面影があっても不思議ではありませんよね(あくまでキューピーの私見です)。中国の史書に636年「琉求」という記述(『隋書』「東夷伝」)があるそうですから、ちゃんと中国に認識されていたんですね。

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紅型衣装とトウジンの型紙