マチュピチュを目ざす旅 キューピーと観光しましょう!
このマチュピチュを訪ねたいと思ったのは、2015年4月18日に「世界ふしぎ発見」で放送された内容に感激したからというのも大きな理由です。ペルーに移民として渡られた野内さんという一人の日本人なくして今のマチュピチュはなかったということです。野内さんがマチュピチュに行かれたときは住民は20人位。水を引き、農産品を運ぶ鉄道をひき、ホテルを建設し初代村長となられました。村民は500人を超えるまでになったそうです。村長としてマチュピチュを世界遺産に登録するようペルー政府に働きかけ、村人が観光業で生活できるよう身を粉にして働かれたそうです。現在は村民の90%が観光に携わる仕事につかれているそうです。ガイドさんは、この件に関して何の説明もしませんでしたのでキューピーの危うい記憶を記しました。詳細はみなさん調べてね。
ガイド はWターさんです。Wターさんの日本語がちょっと怪しい(キューピーの洞察力が低い)のか、理解している間に説明がドンドン進んでしまってうまく要約できません。現地でのレポートで検証もしていません。ご了承ください。その分、たっぷり写真を見てくださいね。キューピーもインカの王様に敬意を評して当地で求めた布でポンチョを作って着てます。似合うかしら!
今年の乾期はおかしい、例年なら晴れて曇ることもない季節です(ということはお天気が悪いかもしれませんという先制パンチかな)。マチュピチュに至る山間をインカトレイル(チョー快適な列車)で行くとき6000m級の雪山が見えます。インカ時代は神様が住んでいると崇められていました。
また、マチュピチュはアマゾンの入口とも呼ばれています。クスコの3倍、2100ミリの雨が降りアマゾンに繋がっているそうです。
憧れて一度訪れたかったマチュピチュですが、簡単には行けません。よく発見されたものだと感心します。なぜならクスコの空港からバスに揺られてオリャンタイタンボまで約2時間(距離は約80kmなのですが悪路のため)、オリャンタイタンボから列車に乗り換え約1時間30分。キューピーはこのマチュピチュ村に宿泊しました。村からバスに乗って九十九折の道を約30分(マチュピチュで走っている車はここのバスだけです)。マチュピチュのゲートに到着です。午前の入山券を買って入ります。見学ルートは階段に次ぐ階段。結構ハードです。一巡するのに約3時間。ゲートを出て昼食レストランへ。HEーー。こんな不便なのにすごい料理。中でも茹でたそら豆が美味しかったです。ここで飲酒は禁物です。標高が高いし、午後のハイキングが辛くなります(もちろんキューピーは未成年ですから飲酒しません)。ここで思いがけない人(プライベートの旅行中、写真をおねだりして申し訳ありません。でも快く笑顔で応じて頂きありがとうございました)、アナウンサーのS坊さんに合っちゃいました。
午後から入場券を買って太陽の門にチャレンジ。また、石段を上がって行きます。パンフレットには初級3kmって記載してありましたがちょーハード。これが初級か? 完璧に筋肉痛になる自信満々です。午前のマチュピチュは東の光が当たり、午後のマチュピチュは西の光が当たり表情が変わります。
マチュピチュの建物は身分によって建て方が異なります。神様が住む場所(神事が行われる場所)は石積が綺麗で少し斜め(上に行くほど内側に傾斜)しています。同じ続きの壁でありながら途中から傾斜がなくなっているところは、神官の住まいと考えられています。神様に敬意を評して建て方を変えているのです。一般の住居は、石の間ににモルタルを使っています。このモルタルにはサボテンを混ぜて防水背を高めています。
インカ帝国の代表的な遺跡ですが、11世紀から9代目の王様までは30kmから60km位のキングダムでした(小さな王国だったんですね)。1400年頃9代目のバチャクテ王(発音の聞き取りがうまくできませんでした)が一代で帝国を築きましたが、1530年スペインに征服されました。危機を感じたマチュピチュ住人約750名はアマゾンの方に逃げたそうです。この遺跡が発見されるまで守られていた80%はツタや木々のおかげ、壊れてしまっている箇所20%もツタや木々のせいだそうです。
野内さんの功績にお礼を言い思いをはせながらの一日でした。みなさんもマチュピチュを訪ねられるときは野内さんを調べてから行ってね。